◎『反日種族主義』を疑う〈その1〉
「『強制徴用』は1965年につくられた新語」という主張の間違い

「強制連行」説は朝鮮総連の創作?

 『反日種族主義』のなかで、いわゆる「徴用工」問題、つまり朝鮮人の戦時労務動員について特に取り上げて書いているのが経済史学者の李宇衍(敬称略、以下同じ)です。同書の第5章、6章、7章の執筆を担当しています。李は、労務動員が「強制連行」「強制労働」だったという認識は事実ではなく、戦後になってから左翼の歴史学者たちが語り始めた神話に過ぎない――と主張しています。しかし彼の議論には、多くの間違いがあります。
 
 ここでは、朝鮮人労務動員についての戦後をめぐる主張の誤りにしぼって説明します。
 
 李は、在日朝鮮人の歴史学者である朴慶植が日本で刊行した『朝鮮人強制連行の記録』(以下、『記録』)こそが、「朝鮮人が日本で奴隷労働をさせられた」という主張の始まりだと主張しています。
 
 李は、『記録』が刊行された1965年当時、朴慶植が朝鮮総連系の朝鮮大学校の教員だったことに注目します。そして、「日帝が残酷に朝鮮人を搾取した」と「扇動」したのは「当時、進行していた韓日国交正常化交渉を阻止するためでした」と断言しています。「両国の国交が正常化されると、北朝鮮が包囲されるから」という理由です。
 
 李は、『記録』という本こそが「朝鮮人が日本で奴隷労働をさせられた」という主張の始まりであり、その目的は、北朝鮮の利益のために「韓日国交正常化交渉を阻止する」という極めて政治的なものだったと主張しているわけです。
 
 しかしこの主張は、時系列を考えると首をかしげてしまうものです。なぜなら、『記録』が刊行されたのは65年の5月31日。すでに前月の4月3日には日韓の間で請求権協定などが仮調印されており、あとは6月22日の正式な調印式を待つばかりだったのです。「韓日国交正常化交渉を阻止する」のは、すでに手遅れではないかと思います。
 
 さらに、そんなに重要な政治的任務を帯びた本であれば、朝鮮総連が大々的にこの本を宣伝しそうなものですが、総連の機関紙などで大きく取り上げられた形跡はありません。出版社も総連系ではなく、哲学や宗教系を中心とした日本の人文系出版社の「未来社」でした。
 
 朴慶植は確かに朝鮮総連系の学校で教員をしていましたが、当時の総連のなかでは非主流派で、彼の研究も決して組織に歓迎されていたわけではありませんでした(最終的には、彼は教員を辞職することになりました)。当時の総連は、「内政不干渉」を掲げ、歴史問題で日本社会に問題提起するよりは「日朝友好」を強調する路線を採っていたのです。そのあたりのことは、こちらに詳しく書かれていますので、ご興味があればご覧ください(外村大「朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味」〈リンク〉)。
 

「強制徴用」という用語も1965年につくられた…のか?

 とは言え、確かに、『記録』が日本でそれなりに広く読まれたことも確かです。「こんなにひどい労働を朝鮮人にやらせていたとは知らなかった」「この本で初めて知った」という人はいたでしょう。しかし李は、この本の影響力を極大化して捉え、この本から始まった歴史認識が「韓国の政府機関、学校などの教育機関、言論界、文化界の全てに甚大な影響を与え…我々(韓国の)国民の一般的常識として根付くまでに至りました」とまで書いています。
 
 しかし、これはやはり無理がある主張です。というのは、87年に民主化が始まるまで、韓国では北朝鮮と厳しくにらみ合う軍事政権下にあって言論が統制されており、朝鮮総連系の学者の書いた本など、「禁書」扱いだった状態が続いていたからです。もちろん、向学心旺盛で日本語読解能力のある韓国の研究者が、ひそかに日本の歴史研究書を入手して学ぶといったことはあったでしょう。けれども、朴慶植の研究が甚大な影響と言えるようなことはなかったでしょう。また、『朝鮮人強制連行の記録』の韓国での翻訳出版は、2008年であり、ベストセラーになったわけでもありません。
 
 「強制連行」「強制労働」をめぐる言説や研究の全てが『記録』から始まったという主張には無理があるし、『記録』が3週間後の日韓基本条約の調印を阻止するために刊行されたという主張にはさらに無理があります。
 
 李はまた、「強制徴用」という、韓国ではよく使われている用語法についても、「1965年以来」のもの、つまり『記録』から始まったものだと主張しています。
 
 これもまた、無理があります。というより、明確に間違っています。
 
 そもそも、朴慶植は『記録』の中で「強制徴用」という言葉をあまり使っていません。そのなかでよく使われているのは、タイトルにあるように「強制連行」の語でした。
 もちろん、『記録』が何らかの形で同時代の韓国の研究に影響を与えて、それ以降、「強制徴用」の語が生まれ、普及したのではないか、という仮説はあり得るかもしれません。しかし仮説は検証されなくては思いつきにすぎません。
 
 近年では、それを簡単に検証する方法があります。韓国・朝鮮で出ていた新聞のキーワード検索をしてみることです。これは『反日種族主義』執筆時の2018年頃? であれば、韓国言論振興財団の提供するKINDSというデータベース、現在であれば韓国国立中央図書館の大韓民国新聞アーカイブなどで簡単にできます。実際にやってみると、「強制徴用」という言葉は、1947年の時点で、すでにいくつかの新聞で使われていたことが分かります〈リンク〉。
 
 つまり、「強制徴用」という用語は、少なくとも1947年にはすでに存在していたのです。
 1965年に刊行された、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』とは関係ないのです。加えて言えば、1965年以降、特に「強制徴用」という言葉がはやり出したといった傾向も全く確認できません。

1945年の新聞にも登場する「強制徴用」

 「強制徴用」という用語法は、実はもっと古くまでさかのぼって見ることができます。日本の敗戦から4か月後の1945年12月8日、『京城日報』という新聞にも登場するからです。『京城日報』は、もとは朝鮮総督府の御用新聞でした。日本の敗戦後、朝鮮人の社員が編集権を握った上でしばらくは日本語のまま刊行を続けていたものです。そこには、戦時期の朝鮮人が受けた労苦について描いたイラストが掲げられています。

 ここにははっきりと「強制徴用」の語が見えます。
 このイラストは、2012年に日本で刊行された外村大『朝鮮人強制連行』(岩波新書)の199ページにも掲載されています。この本は、韓国でも2018年に翻訳が刊行されました。つまり、李宇衍氏がこのイラストを目にする機会は十分にありました。
 
 もちろん、研究者だからといって他人の研究をすべて知っているわけではありません。しかし自分が興味を持っているテーマについて書かれた著書で重要なものを読み、それをおさえた上で自分の説を展開するというのは、本職の研究者であれば基本中の基本です。新聞のデータベースで検索をやってみるというのも、すぐにできることです。李は、そうした検証を踏まずに、「強制徴用」という用語の発生について推論を重ねているのではないかと思われます。
 
 李が「強制徴用」という用語にこだわるのは、この用語法が1944年9月に始まる狭い意味での「徴用」以前の「募集」や「官斡旋(かんあっせん)」段階も含めて、朝鮮人の労務動員が強制的なものだったというイメージを与えるから、ということのようです。つまり李は、狭い意味での「徴用」が始まるまでは、労務動員に強制性はなかったというのです。
 
 こうした李の主張には、どのような根拠があるのでしょうか。「その2」以降ではそこに焦点を絞って取り上げてみたいと思います。

2020年6月14日)

 
 
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