◎誤解その1
「強制連行、強制労働はなかった」という誤解

日本の裁判所が「強制連行」「強制労働」だったと認定
当時の日本の当局者も「人質的略奪」「拉致」だと報告
「徴用工」裁判の原告たちは途中から「徴用」扱いに

日本の裁判所も「強制労働」を認める

 韓国の最高裁に当たる大法院は、2018年10月30日、戦時中に旧日本製鉄(訴訟当時は新日鉄住金、現在は日本製鉄)に動員された元「徴用工」4人が損害賠償を求めた訴訟で、新日鉄住金の上告を棄却。新日鉄住金に賠償を命じた高等法院(高裁に当たる)判決を確定させました。これに対して、日本ではさまざまな批判の声が上がっています。
 しかしその中には、彼らは実際には「出稼ぎ」だった、戦時中に朝鮮人労働者が「強制連行」され、「強制労働」をさせられたなんて話はうそだ、という主張も見られます。これは明らかな間違いです。
 たとえば、今回の大法院判決の原告たちが強いられた経験は、どのようなものだったのでしょうか。実は、韓国の裁判所ではなく、日本の裁判所の判決文でも確認することができます。
 彼らは、韓国より先に日本の裁判所で同様の訴訟を起こしています。訴えは棄却されましたが、判決では、原告らが訴えた被害事実について、「強制労働」に当たるとして違法性を認めました。
 
 大阪高裁の判決(02年11月19日)は、その被害を次のように記しています。

 日本製鉄の経営する大阪製鉄所に付属する本件寮における控訴人らの居住状況と大阪製鉄所内での労働内容は、技術を習得させるという日本製鉄の事前説明から予想されるものとは全く異なる劣悪なものであって、控訴人らは、一部賃金の支払を受けたものの、具体的な賃金額も知らされないまま、残額は強制的に貯蓄させられ、多少の行動の自由を認められた時期はあったものの、常時、日本製鉄の監視下に置かれて、労務からの離脱もままならず、食事も十分には与えられず、劣悪な住環境の下、過酷で危険極まりない作業に半ば自由を奪われた状態で相当期間にわたって従事させられ、清津においても、短期間とはいえ、1日のうち12時間も土木工事に携わるというさらに過酷な労働に従事させられ、賃金の支払は全くなされていないことが認められ、これは実質的にみて強制労働に該当し、違法といわざるをえない
 

(日鉄大阪製鉄所元徴用工損害賠償請求訴訟判決文、02年11月19日)

 これが、原告たちが10代から20代初めに経験したことでした。監視下に置かれて離脱を許されず、過酷で危険な労働を強いられる――大阪高裁はこれを「実質的にみて強制労働に該当し、違法といわざるをえない」と断じています。
 
 また、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟の名古屋高裁判決(07年5月31日)でも、原告の被害事実を認めています。原告たちは、動員当時は13、14歳の少女でした。判決は、彼女たちが「学校に行ける」などの甘い言葉にだまされて、あるいは憲兵に脅かされて挺身隊員に志願させられたことを「強制連行」と認め、工場での労働が「その年齢に比して過酷」なものであり、さらに「外出や手紙の制限・検閲、給料の未払」などの実態を挙げて「それは強制労働であったというべきである」と記しています(「学校に行ける」とだますー名古屋高裁〈リンク〉)。

日本の行政当局者も「人質的略奪」「拉致」と表現

 当時の日本の当局者も、こうした実態を記録しています。内務省の調査報告では、動員の実態を「人質的略奪」「拉致」と表現しています(小暮泰用「復命書」1944年〈リンク〉)。また、朝鮮・江原道の春川警察署の幹部は、「警察が郡庁とタイアップして村落を駆回り労務者の供出に片棒をかついだ」と回想しています(金剛会編『江原道回顧録』77年〈リンク〉)。
 
 個々にはさまざまなケースがあるでしょうが、全体として見たとき、朝鮮人労務動員は一貫して日本政府の動員計画の下で実行され、朝鮮総督府や警察が関与して人々が集められました。その過程ではウソや脅迫も多く、労働現場では過酷な労働、軟禁、暴力、賃金未払いがありました。
 
 こうした実態を踏まえて、たとえば山川出版社から出されている『日本史小辞典』(2001年)の「朝鮮人強制連行」の項目では、「日本各地の労働力不足を補うため、朝鮮から労働者を強制的に動員・補充しようとした政策」「民族差別や過酷な労働により多くの犠牲者を出した」と説明しています。これが歴史学のスタンダードな認識なのです。

「原告たちは徴用されていない」という誤解

 大法院判決の原告らについては、「実際は出稼ぎだった」という主張の他に「彼らは『徴用』されたわけではなかった」という主張もあります。
 
 たとえば安倍晋三首相は、国会で「今回の原告4人は、いずれも『募集』に応じた人たち」であり、徴用されたわけではないとして、「この事案については、『旧朝鮮半島出身労働者』の問題と捉えている」と答弁しています(第197回国会 衆議院 予算委員会・安倍晋三首相の国会答弁 18年11月1日〈リンク〉)。
 
 つまり、原告たちは「徴用」されたわけではないというのです。
 しかしこれも、事実認識として間違っています。
 それを理解してもらうには、まず、戦時中の朝鮮人労務動員のあり方について説明しておかなくてはなりません。
 
 日中戦争から太平洋戦争へと戦火が拡大するなかで、日本本土では、人が集まらない現場での労働力不足を解消する必要が出てきました。朝鮮人の労務動員は、こうした中で行われたものです。
 
 動員は、「募集」(39年)→「官斡旋(かんあっせん)」(42年)→「徴用」(44年:終戦の前年)という三つの形態で進められました。
 

用語 開始年月
 募集  1939年9月から
 官斡旋(かんあっせん)  1942年2月から
 徴用  1944年9月から

 
 ちなみに一般に使われている「徴用工」という言葉は、この三つの動員形態のうち「徴用」段階のものを指したり、朝鮮人労務動員全体を指したりと、文脈によって異なる使い方をされているようです。
 
 いずれにしろ、安倍首相は、原告が44年から始まる法律上の「徴用」をこうむった人たちではないと言ったわけです。
 
 なるほど、原告らは確かに、旧日本製鉄の労働現場に赴いた時点では、法律上の「徴用」を受けたわけではありませんでした。彼らは、「訓練を経て技術者になれる」といった広告に自ら応募して旧日本製鉄に赴いたのです。ところが実際に労働現場に来てみると、広告とは異なり、過酷な労働、軟禁、殴打、強制貯金といった「強制労働」が待っていました。
 
 しかし彼らは「徴用」されたのではないというのは誤りです。彼らは途中から文字通りの「徴用」扱いとなったからです。
 
 1943年12月、「軍需会社法」「軍需会社徴用規則」が施行されました。これは、「軍需会社の営む軍需事業に従事する者は国家総動員法に依り徴用せられたるものと看做(みな)す」として、軍需会社として指定された現場で働く労働者を、そのまま「徴用」扱いとすることを定めた規則でした。「徴用」されると、これに応じない者は国家総動員法によって処罰(1年以下の懲役あるいは1000円以下の罰金)を受けることになります。
 
 旧日本製鉄で働かされていた原告たちは、この規則の施行によって、そのまま「徴用」扱いとなったのです。
 つまり原告らは、募集広告にだまされて過酷な労働を強いられ、ついには「徴用」されてしまったわけです。それを単なる「旧朝鮮半島出身労働者」と呼ぶのは、実態を正しく表しているとは言えません。
 
 朝鮮人労務動員は、44年から施行された「徴用」だけではなく、それ以前から、人権侵害を伴って行われていました。その中で、朝鮮の若者たちが強制連行、強制労働の被害にあったことは間違いなく、それ自体を否定することはできません。「徴用工」問題の解決策は、その事実から出発して考えていくしかないのです。

2020年6月14日)

日本の裁判所が「強制連行」「強制労働」だったと認定
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「徴用工」裁判の原告たちは途中から「徴用」扱いに


 
 
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