◎誤解その3
「日本はすでに韓国に賠償している」という誤解
1965年に行われた経済協力は「賠償」ではないと、日本政府が強調している
朝鮮支配は「いいことだった」というのが当時の日本政府の考え方だった
当然、植民地支配への賠償も、労務動員された人々への賠償も行われていない
「経済協力であって賠償ではない」と強調した日本政府
「韓国への賠償はすでに行われている」と主張する人々がいるようです。さすがにメディアではそんな言説はほとんど見かけませんが、インターネットの書き込みでは、そうしたことを書いている人をたまに見かけます。
そうした人々の念頭にあるのは、1965年に「日韓基本条約」と「日韓請求権協定」が結ばれた際に、日本から韓国に無償・有償の5億ドルが供与・貸し付けされた事実でしょう。では、この5億ドルは、本当に韓国への「賠償」だったのでしょうか。そうではありません。
そもそも賠償とは何でしょうか。たとえば集英社の『国語辞典』で「賠償」の項目を見ると、「他人・他国に与えた損害を償うこと」とあります。同じく「損害賠償」の項目を見ると、「債務不履行・不法行為などによって損害が発生した場合に、その損害を補填(ほてん)して、損害がなかった状態と同じにすること」とあります。
要するに、相手に与えた損害(不法行為を含む)に対して、それに見合った償いを行うということでしょう。
この定義に照らせば、1965年当時の日本政府が韓国に「賠償」を行ったとは言えないでしょう。というのは、当時の日本政府は、日本が植民地支配によって韓国に損害を与えたということ自体を決して認めなかったからです。
日韓会談は1951年に開始されましたが、中断と再開を繰り返し、長い時間がかかることになりました。その根底には、植民地支配の歴史をどう考えるかで日韓両国の溝が埋まらなかったことがあります。
日本側は、日本の支配をそもそも植民地支配とすら認めず、正当化する主張を繰り返しました。例えば、日本側首席代表の高杉晋一は、65年1月7日の記者会見で、
日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした…創氏改名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫とかいうものでない
と語っています。
こうした考えからは、植民地支配への「賠償」という発想自体が出てくるはずがありません。
日本側交渉担当者は、朝鮮支配は合法であり、朝鮮の近代化を進めた正当なものであるから、賠償を求められるいわれはないと主張し続け、一方の韓国側は韓国併合の不法性と無効性を主張したので、両者は対立しました。日本側はむしろ、植民地支配への「賠償」を行わないことに力を尽くしたのです。「経済協力」は必要だが、「過去の償い」であってはならない、と書いた外務省の内部文書も残っています(1960年7月22日に外務省北東アジア課が作成した極秘文書「対韓経済技術協力に関する予算措置について」〈リンク〉。この文書の3枚目です。
長い交渉の末、1965年に日韓基本条約と日韓請求権協定が結ばれます。韓国に対して、5億ドルの供与・貸し付けも行われることになりました。しかし日本政府自身が、この5億ドルが決して「賠償」の意味を持たないことを強調しています。
以下は、当時の椎名悦三郎外相が請求権協定の締結にあたって国会で行った答弁です。
請求権が経済協力という形に変わったというような考え方を持ち、したがって、 経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、 これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らこの間に関係はございません。あくまで有償・無償5億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます
「経済協力は韓国の独立に対する祝い金であって賠償ではない」というのです。
いうまでもなく、「祝い金」と「賠償」では全くの別物です。例え話で言えば、高校で部活動の先輩が後輩を殴ってケガをさせたのに謝ることもなく、それなのに卒業時に「これは卒業の祝い金だ」と言ってお金を渡したとしても、それは殴ったことへの「賠償」とは言えないでしょう。
実際、この5億ドルは、いかなる意味でも「賠償」ではありませんでした。
日韓請求権協定は「賠償」とは別次元の取り決め
日韓基本条約と請求権協定は、植民地支配への認識をめぐる日韓の対立を棚上げし、あいまいにしたままで結ばれました。従って、「徴用工」をはじめとする、戦時中に強制的に動員された人々への「賠償」も行われませんでした。
日韓請求権協定は「賠償」ではなく、サンフランシスコ講和条約4条に定められた「特別取極」を実行するものとして結ばれたものでした。「特別取極」とは、日本からの朝鮮の独立に伴い、両者の間で複雑に絡み合った「財産及び請求権」を整理するための取り決めのことです。韓国はサンフランシスコ講和会議への参加を認められず、戦争当事国として日本に「戦争賠償」を求めることもできませんでした。
日本が韓国に渡した5億ドルの内訳は、3億ドルの供与と2億ドルの借款(貸し付け)。これらは自由に使える現金で渡されたわけではなく、相当額の「日本国の生産物と日本人の役務」を供与するというものでした。つまり、日本政府が日本企業の物品・サービス(工場プラントや資材など)を買い取って、韓国に提供するということです。当時の外務省の条約局長は当時、この経済協力について、日本の輸出拡大の機会をつくることになり、「日本の経済発展にプラス」だと考えたと振り返っています(新延明「条約締結にいたる過程」『季刊青丘』1993年夏号)。(参考:「外務省条約局長「韓国への経済協力は日本にプラス」)〈リンク〉
また、使途については、第1条で「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」と明記されていました。その意図について、官報の姉妹版とされている『時の法令』は、以下のように解説しています。
これは、この無償供与及び貸し付けが、賠償または請求権の対価として行なわれるものではなく、韓国経済の発展に寄与する経済協力として行なわれることを明らかにし、この目的にそわない供与や貸し付けは、年度実施計画の合意または契約認証の際に、これを除くことができるように意図した規定である
つまり、徴用工への賠償に充てることは想定されていなかったのです。
このように、日本は韓国に対して植民地支配への「賠償」を行っていません。当然、戦時に強制的に動員された人々への法的賠償も行われていないのです。「日本は韓国にすでに賠償している」という認識は、全くの誤りです。
1965年に行われた経済協力は「賠償」ではないと、日本政府が強調している
朝鮮支配は「いいことだった」というのが当時の日本政府の考え方だった
当然、植民地支配への賠償も、労務動員された人々への賠償も行われていない
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