◎「大法院判決は文大統領が出させた」は間違い

賠償を命じる判決が出たのは保守政権の時代

 2018年10月30日、戦時中の強制動員について元「徴用工」が新日鉄住金を訴えた裁判で、韓国の大法院(最高裁)は原告勝訴の判決を出しました。翌11月29日には、やはり元「徴用工」が三菱重工を訴えた訴訟で、同様の大法院判決が出されています。
 
 日本のメディアの中では、これらの元徴用工勝訴判決は文在寅政権が出させたものだ、という説が広がっています。文政権は前政権と違って「反日」を強調する進歩派政権だから、裁判所にそのような判断をさせたのだというのです。
 
 しかし、この「文在寅による判決」説には、相当な無理があります。荒唐無稽と言ってもよいかもしれません。
 なぜでしょうか。その最大の理由は、今回の判決は2013年7月の高等法院(高裁)判決を追認したものにすぎないからです。言うまでもなく、当時はまだ文在寅政権は存在していません。
 
 三菱重工訴訟と新日鉄住金訴訟は、それぞれ2000年と05年に始まりました。
一審、二審判決は、原告=元「徴用工」が訴える被害事実を認め、被告=日本企業の不法行為責任を認定する一方で、原告の請求を棄却しました。しかし12年5月、原告が上告した大法院では、それまでとは異なる判断が出されます。大法院は両訴訟で原告の請求権を認め、下級審判決を破棄し、差し戻したのです。
 韓国の司法が強制動員被害者に請求権が存在することを認めたのは、このときです。
 
 差し戻しの結果、翌13年7月には、ソウルと釜山の高等法院(高裁)が被告の日本企業に賠償を命じる判決を出しました。新日鉄住金と三菱重工は、これを不服として上告。審理の場は再び大法院に移ります。その結果が、18年10月30日(新日鉄住金訴訟)、11月29日(三菱重工訴訟)の大法院判決でした。
 
 つまり、18年10月、11月の大法院判決は、何か新たな判断を出したものではなく、13年7月の高等法院の判決を、いわば再確認したものなのです。
 13年7月の高等法院判決のとき、大統領は保守派の朴槿恵でした。
 請求権を認めた12年5月の大法院判決のときも、大統領は保守派の李明博でした。
 つまり、裁判所の判断の方向性は、保守政権の時代に、すでに固まっていたわけです。
 

元駐韓大使・武藤正敏氏の「飛躍した論理」

 「文在寅による判決」説の荒唐無稽さについては、以上の事実だけで決着がついてしまいます。
 しかし、それを知った上でなお、18年の大法院判決には文在寅大統領が関与していると主張する人もいます。例えば武藤正敏氏です。
 武藤氏は1948年生まれ。外務省北東アジア課長や駐韓大使を務め、その後は今回の判決の被告である三菱重工の顧問に就いていた時期もあります。駐韓大使の経験を生かして書いた『韓国人に生まれなくてよかった』(17年、悟空出版)という本は、大ベストセラーとなりました。
 その武藤氏が主張する「文在寅による判決」説とは、どのようなものでしょうか。以下のリンク先の記事で見てみましょう。
 
「慰安婦問題の解決を阻んでいるのは誰だ 田原総一朗の深層探求:元在韓国大使・武藤正敏氏(その2)〈リンク〉」
 
 武藤氏が最初に指摘しているのは、2000年に三菱重工訴訟が始まった当初、文在寅氏が原告側の弁護団のメンバーだったということです。なるほど、これは事実です。
 
 しかし、武藤氏の論理は、ここから一気に飛躍してしまいます。
 文政権が、発足後、「人権派」として知られる地方法院(地裁)の前所長を大法院院長(最高裁長官)に「わざわざ任命」し、「自分の主義主張に合うような判決を出させている」というのです。武藤氏は「それで『自分は責任がない、司法の判断だ』って言われても、納得しませんよね」と切り捨てます。
 
 果たしてそんなふうに言えるのでしょうか。冷静に考えてみましょう。
 
 韓国では、大法院院長(最高裁長官)と大法院の判事は、国会の同意を得て大統領が任命します。念のために言っておけば、いつでも替えられるということではなく、それぞれ、定まった任期が終了した時点でということです。アメリカでも同様で、連邦最高裁の判事は上院の同意を得て大統領が任命します(任期は終身)。日本でも、最高裁長官は内閣の指名を受けて天皇が任命し、判事の任命は内閣が行うことになっています。
 
 もちろん、任命に当たって、大統領や総理大臣が自らの「主義主張」に合った人物を選ぶこと自体は違法ではありません。アメリカでも、最高裁判事の多数派を保守派政権が任命した保守派判事が占めるか、それともリベラル派政権が任命したリベラル派判事が占めるか、が常に大きな話題になっています。
 
 しかし、だからといって大統領や総理大臣が「自分の主義主張に合うような判決」を自由に出させることができるのだと断言するのでは、日本、アメリカ、韓国には司法の独立など元から存在しないと主張するようなものです。当たり前ですが、実際には為政者が好き勝手に司法を左右できないような仕組みが、どの国にもあります。
 
 文大統領が大法院院長(最高裁長官)を任命したから、それだけで文大統領の思い通りの判決を出せる、と考えるのでは、あまりに短絡的というものです。
 

文大統領が任命した判事の間でも意見が割れた

 加えて言えば、韓国の大法院では日本の最高裁判所と同じように複数の判事によって審理が行われます。18年の大法院判決の場合、判決を出したのは13人の大法官(判事)による大法廷でした。大法廷には、大法院院長(最高裁長官)も判事として参加します。
 判事たちの意見が割れる場合、判決は多数決で出されます。これも日本と同じです。
 
 18年10月の大法院判決の場合、文大統領が任命した大法院院長は「日本企業は賠償すべきだ」という多数意見(7人)の側に立ちましたが、やはり文大統領が任命した別の判事は、「原告の請求権は消滅している」という少数意見(2人)に立ちました。他に4人の判事が「個別意見」を出しています。
 
 文大統領が任命した判事の間で意見が割れた事実を見ても、大法院(最高裁)が文政権の言いなりに判決を出したということは言えそうもありません。
 また武藤氏は、文大統領が就任100日後の記者会見(17年8月17日)で「個人の請求権は残っているというのが憲法裁判所や最高裁の判例だ」と述べたとして、それを司法介入であるかのように主張しています。
 
 この発言は、正確には
 

    • 「両国間で合意があったとしても強制徴用者個人が三菱をはじめとする日本の会社に有する民事的な権利(請求権)はそのまま残っているというのが韓国法院の判断だ。政府はそのような立場で過去事問題に臨んでいる」

 
 というものでした。
 
 すでに述べたように、12年5月に大法院が元「徴用工」の請求権を認め、13年7月には高等法院で賠償を命じる判決が出ているわけですから、これは「行政府としては司法府の判断を尊重するほかない」という原則論を言っているにすぎないと読むべきでしょう。
 
どうも武藤氏の議論には、一貫して「司法の独立」への軽視があるようです。だからこそ、大統領が最高裁長官を任命すれば思い通りの判決が出る、といった粗雑な主張が出てくるのでしょう。

「バラバラで、ハチャメチャ」

 武藤氏はまた、文政権発足後に、前の大法院院長が逮捕された事件についても、粗雑な解釈を披露しています。「朴槿恵政権時に、徴用工裁判で日本企業に賠償を命じる判決を故意に先送りした」からといって前の大法院院長を逮捕するとは「開いた口がふさがりません」というのです。
 
 しかし、この事件の本筋は、この5年間の「先送り」が朴前大統領の意向を受けたものなのではないかと疑われているところにあります。朴槿恵前大統領がさまざまなかたちで不適切な政権運営を行ったために弾劾されたことは、日本でも広く知られているとおりですが、これが事実だとすれば、時の政権によるあからさまな司法介入です。
 
 つまり、「反日」か否かといった話ではなく、「司法の独立」が侵されたのか否かという問題ですし、実際、韓国のメディアではそうした次元で報道されていました(まだ捜査の結論は出ていないようです)。
 
 武藤氏は、文大統領が「人権派」の法曹人を法にのっとって任命したことを「司法への介入」のように指弾する一方で、実際に露骨な司法への介入が疑われる事件で前・大法院院長が逮捕されたことについては、「開いた口がふさがらない」と逮捕の方を批判しているわけです。文大統領について、「言っていることとやっていることがバラバラで、ハチャメチャ」と評していますが、むしろそれは、武藤氏に当てはまるかもしれません。
 
 以上見てきたように、「文在寅による判決」説は、荒唐無稽なお話と言えます。韓国=反日、韓国の進歩派=反日といった固定観念に引きずられ、具体的な検証もなく点と点を結びつけることで初めて成立する、「認知のゆがみ」の産物と言えそうです。

2020年6月14日)

 
 
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