◎誤解その2
「個人請求権はすでに消滅している」という誤解

国会で外務省が「個人請求権は消滅していない」と繰り返し答弁している
河野太郎外相も2018年に同様の答弁を行っている
日本政府と韓国大法院の間にあるのは請求権協定の「解釈の違い」である

「個人請求権は消滅していない」が日本政府の一貫した立場

 韓国の大法院(日本の最高裁に相当)は2018年10月30日、元「徴用工」らの訴えを認めて被告・新日鉄住金(現・日本製鉄)に慰謝料の支払いを命じた13年7月10日のソウル高等法院(高裁)判決を支持し、新日鉄住金の上告を棄却しました。
 
 「誤解その1〈リンク〉」で見たように、原告たちは、戦時中、新日鉄住金の前身である旧日本製鉄によって、強制的に動員され、過酷な労働を強いられました。日本の裁判所も、これが「強制労働」だったこと自体は認めています。
 
 しかし日本政府は、今回の大法院判決について、1965年に結ばれた日韓請求権協定に反しているとして反発しています。協定によって、「請求権」 に関わる問題は「完全かつ最終的に解決済み」だというのです。
 日本の報道の中には、これを「元徴用工らの個人請求権はすでに消滅している」と解説するものもあります。
 
 しかし、これは間違っています。
 
 確かに、1965年に結ばれた日韓請求権協定には、日韓両国間の「財産、権利及び利益」並びに「請求権」に関する問題 が、「完全かつ最終的に解決されたこととなる」と書いてあります。また、2条3項には「財産、権利及び利益」に対する「措置」や「請求権」 に関して、 「いかなる主張もすることができない」としています。
 
 しかしこれは、「個人請求権が消滅した」という意味ではありません。そのことは、ほかならぬ日本政府が繰り返し言ってきたことです。
 
 例えば1991年には、外務省の柳井俊二条約局長が国会で次のような答弁を行っています。

 いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます
 

 
(第121回国会 参議院 予算委員会 外務省 柳生俊二条約局長の答弁、91年8月27日〈リンク〉)

 「完全かつ最終的に解決」とは、あくまでも両国が「外交保護権」を放棄するという意味だというのです。
 
 「外交保護権」とは何でしょうか。『大辞林』(第3版)には、
 「自国民が外国で違法な損害を受けた場合に、国が国自身の権利として、その外国に適当な救済を図るよう請求すること」
 とあります。つまり柳井条約局長は、日韓請求権協定によって放棄されたのは、政府が自国民のために相手国に請求する権利であって、個人の請求権そのものが消滅したわけではないと言っているわけです。
 
 こうした日本政府の解釈は、今も変わっていません。大法院判決後に、河野太郎外相が国会で、「個人の請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」と答弁しています(衆院外務委員会、2018年11月14日)。

日本政府「請求権は残るが裁判で救済を求める権利はない」

 ただし、河野外相はこれに続けて、「個人の請求権を含め、日韓間の財産請求権の問題は日韓請求権協定により完全かつ最終的に解決済みでございます」と強調し、これを引き受けるかたちで、外務省の三上正裕三国際法局長が「日韓請求権協定により、一方の締約国の個人の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果、救済が拒否される」という解釈を示しています(第197回国会 衆議院 外務委員会 18年11月14日〈リンク〉)。
 
 つまり、被害者の個人請求権は残っているが、被害者が裁判を通じて賠償を請求しても救済されることはない――というのが、日本政府の現在の主張です(分かりにくい論理ですが、その当否を検証するには煩雑な説明を要するので、後日、別稿で行いたいと思います)。
 
 一つだけ指摘しておけば、こうした日本政府の主張は、果たして国際法との間で整合性があるのかという問題があります。
 
 1948年に国連総会で採択された世界人権宣言第8条は「すべて人は、憲法または法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する」としています(国連人権広報センター 世界人権宣言テキスト〈リンク〉)。
 
 また、1966年に採択された国際人権規約(自由権規約、日本も批准)では、締約国に対して、「司法上の救済措置の可能性を発展させること」を義務付けています
(外務省 市民的及び政治的権利に関する国際規約〈B規約〉全文 第二部〈リンク〉)。
 
 第14条では「公正な裁判所による公正な公開審理を受ける権利」が保障されています。日本も1979年にこれを批准しているので、それに従う国際法上の義務を負っています
(外務省 市民的及び政治的権利に関する国際規約〈B規約〉全文 第三部〈リンク〉)。
 
 被害者の個人請求権は残っているが裁判を通じて救済されることはない、という日本政府の主張が、こうした国際法の規定との間で整合性を問われるものであるのは間違いないでしょう。

大法院「反人道的な不法行為への慰謝料請求は協定の対象外」

 一方の韓国の大法院判決も、日韓請求権協定を破棄せよと主張しているわけでもないし、協定の存在を無視して結論を出しているわけでもありません。
 
 この判決に至るまでには、地方法院(地裁)→高等法院→大法院、さらに差し戻して高等法院→大法院という、長い長い裁判がありました。その中で被告・新日鉄住金と原告・元徴用工の両者は、それぞれの主張を尽くしました。当然、日韓請求権協定と原告個人の慰謝料請求権の関係をめぐる問題は中心的な争点でした。
 
 そうした議論の積み重ねの上に出た判断が、この事件で問題とされるべき個人の「請求権」とは被告企業による強制動員・強制労働という「反人道的な不法行為」によって生じた慰謝料請求権であり、その請求権は日韓請求権協定が「放棄」するとした対象に含まれていない――というものでした。当然、被害者は裁判所で救済されることになります。
 
 このように、日本政府の見解と大法院判決を比べてみると、日韓請求権協定の解釈をめぐって、日韓請求権協定で個人請求権は消滅していないという点では違いはありません。違いがあるとすれば,裁判所での救済が認められるか否かということになります。
 
 いずれにしろ、「日韓請求権協定で個人請求権は消滅した」という説明は事実に反しています。そうした単純明快な理由で今回の大法院判決を切り捨てることはできないのです。

2020年6月14日)

国会で外務省が「個人請求権は消滅していない」と繰り返し答弁している
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日本政府と韓国大法院の間にあるのは請求権協定の「解釈の違い」である


 
 
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