◎『反日種族主義』を疑う〈その3〉
「自発的に日本に渡航する人も多かったから強制連行などあるわけない」という粗雑な論理

日本渡航は朝鮮の若者の「ロマン」だった?

 「徴用が実施されたときもそれ以前と同様、多くの朝鮮人がブローカーに大金を握らせ、小さな船に命を任せ日本に密航しようと試みました。当時の朝鮮の青年たちにとって日本は、一つの『ロマン』でした」(『反日種族主義』68頁)。
 
 『反日種族主義』の著者の一人、李ウヨン氏は、このように言い切っています。

 このくだりは、「強制連行などなかった」ということを主張する中で出てきます。つまり、「日本渡航を望んでいた朝鮮の若者は多かったのだから、わざわざ無理強いして日本に送り込むことなどしていない」と主張しているのです。
 この主張は正しいと言えるでしょうか。ちょっと立ち止まって、当時の状況をさまざまな角度から考えてみましょう。
 まずは、日中戦争から太平洋戦争へと続く時代に、日本で働くことを希望していた朝鮮人が多く存在していたというのは本当でしょうか。
 実は、それ自体は間違いのない事実です。

就労目的の日本渡航には「足がかり」が必要だった

 特高月報や朝鮮総督府などの文書を見ても、そのことは明らかです。たとえば、朝鮮総督府警務局が発行していた『最近に於ける朝鮮治安状況』(1939年)では、日本渡航のための証明書を申請した朝鮮人数の統計がまとめられています。それによれば、33年には30万53人、38年でも12万9205人の朝鮮人が証明書を申請しています。そのほとんどは就労目的だと考えてよいでしょう。

 こうしたことは「強制連行」について研究してきた歴史学者も以前から指摘してきたことです。つまり、「隠された真実」でもなんでもなく、李ウヨン氏による「新発見」でもありません。
 当時の朝鮮には、「このままでは生活できない」という貧しい人々が多くいました。そこに、「日本に行けば金が稼げるらしい」という情報が伝わって来れば、日本渡航を希望する人が増えるのは当然です。

 しかし注意しなければならないのは、「日本で働きたい」という朝鮮人が多くいたことは事実であっても、それは「どんな過酷な仕事でも構わないから日本で働きたい」という人が多く存在したことを意味しないということです。

 当時、朝鮮から日本に就労目的で渡るには、日本での就業先が確かなものかどうか、行政のチェックを受ける必要がありました。ある時期からは、地元警察署が発給する「渡航証明書」がなければ日本行きの連絡船にも乗れないようになりました。日本での就労を希望する人は、日本にいる親戚や知人などに頼んで手紙を出してもらうなどして、地元の警察に頼み込み、ようやく「渡航証明書」を得ることができました。

 逆に言えば、日本渡航を自発的に申請した人々は、そもそも日本に親戚や知人などの「足がかり」を持っていたということです。
 

過酷な労働現場だからこそ無理じいが必要だった

 当時、故郷を離れて知らない土地で働くということは軽々しく決断できることではありません。だまされて過酷な「タコ部屋」で働かせられるケースがあることも、朝鮮人の間で語られていました。当然、彼らは日本に暮らす親戚などを通じて日本の労働現場についての情報を得ていたことでしょう。日本のどこに行けば安心して確実に稼ぐことができるのか、親戚から情報を得ながら必死に探っていたに違いありません。

 一方、日本当局が戦時労働動員において朝鮮人に求めていたのは、炭鉱や飛行場建設などでの労働でした。当サイト内の「史実にアクセス」に収録した多くの証言からもうかがえるように、その多くは劣悪で過酷な労働現場であり、管理者による暴力も横行していました。それは朝鮮人が求める安全で確実に稼げる労働現場からはほど遠く、「ロマン」を描ける場所でもありませんでした。

(参考:「史実にアクセス」より)
「月に1人は朝鮮人が感電死」〈 リンク
「不平を言う朝鮮人は『タコ部屋』送り」〈 リンク

 つまり、親戚や同郷者を通じて日本の仕事について情報を集めて自発的に渡航できる若者たちが「ロマン」を求めて働きたかった職場と、日本当局が朝鮮人を働かせたいと考えていた労働現場との間には、大きな隔たりがあったということです。その隔たりを埋めて、不人気な労働現場に人を集めるためにこそ、上からの無理な動員が必要だったのです。

動員で集められた人の40%が逃亡

 その過程では、当人の意に反した、暴力や心理的圧迫を伴う人集めが横行しました。そのため、朝鮮で戦時労働動員の対象として集められた朝鮮人の少なくない部分が、日本に渡る前に逃亡していたことが分かっています。

 韓国で出版された鄭惠瓊(チョン・ヘギョン)ほか『反対を論じる 「反日種族主義」の歴史否定を超えて』(ソニン、2019年)の中で、鄭氏は、住友本社鴻之舞鉱業所の資料をもとに、1940年に37.2%、1943年には40%の朝鮮人が釜山港に着く前に逃げていたことを明らかにしています。居住地域から動員で集められた人々に対しては、途中で泊まる旅館や移動に用いる列車でも監視が着けられ、逃げようとすれば殴られるような状況でした。それでも、それだけの人々が危険を冒して逃亡したのです。
 そこに見えるのは、「ロマン」とはほど遠い現実です。

 「日本に行って金を稼ごうとする朝鮮人が多数いたので意に反する強制連行などなかったはず」という発想は、当時のリアリティから乖離した粗雑な論理に基づいていると言うほかありません。

 残念ながら李ウヨン氏は、「日本行きがロマンであったというが、なぜ多数の朝鮮人が釜山港に連れて行かれる前にすでに逃亡していたのか」という鄭惠瓊氏の指摘に対して、2021年2月現在、何も答えていないようです。

(参考:当サイト内「『徴用工』判決をめぐる3つの誤解と2つの疑問」より、「◎誤解その1『強制連行、強制労働はなかった』という誤解」〈リンク〉)
2021年2月24日)

 
 
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