◎疑問その1
「韓国は国と国との約束を破った」と言えるか

大法院判決も、日韓請求協定そのものを否定しているわけではない
そもそも企業と元労働者の民事訴訟であり、いずれの「国」も裁判の当事者ではない
「三権分立」の原則があり、韓国政府が韓国の大法院判決を否定するのは不可能

大法院判決も日韓請求権協定そのものを否定していない

 韓国政府が「国と国との約束」を破った――という主張の前提にあるのは、大法院(日本の最高裁に相当)の今回の判決が日韓請求権協定を否定しているという認識です。
 しかし、「誤解その2〈リンク〉」で見たように、大法院判決は日韓請求権協定を破棄せよと命じたものではないし、請求権協定を否定したり、無視したりした上に論理を組み立てているわけでもありません。そうではなくて、両者が主張する事実を吟味し、韓国の憲法体系の論理を踏まえて、請求権協定に対する一つの解釈に立って、判断を下したのです。
 
 長期にわたる裁判では、被告の新日鉄住金と原告の元「徴用工」の両者が、それぞれの主張を尽くしました。その中では当然、請求権協定の解釈が争点となりました。日本の司法判断も検討の対象となっています。
 
 そうした議論の積み重ねの上に、大法院は、被告企業の「反人道的な不法行為」に対する原告の慰謝料請求は、日韓請求権協定により否定されるものではない――という結論を出したのです。
 
 もちろん、請求権協定に対する大法院の解釈は、日本の政府や裁判所の解釈とは異なる部分があります。しかし、解釈が異なるというだけで、「約束を破った」とまで言うことは妥当でしょうか。「約束を破った」というのは、人間関係においては「うそをついた」に次ぐほど重い意味をもつ非難です。隣国の最高裁である大法院がその国の憲法に従って法的な議論を重ねた上で出した結論に対して、頭ごなしに非難するのが正しい態度なのでしょうか。私たちは疑問を感じます。
 
 まずは、大法院判決は日韓請求権協定をどのように解釈しているのか、請求権協定との関係をどのように整理しているのか、日本側の論理との間でどこに異同があるのか。それを冷静に検討すべきです。
 
 「韓国の裁判所は理屈抜きで感情的に結論を出しているのだろう」という決めつけが無自覚のうちに前提となっているのであれば、それは全く現実から懸け離れた思い込みであり、認知のゆがみです。なぜそんな思い込みを持っているのか、まずは自分の考え方を疑ってみる必要があるでしょう。
 
 もう一つ付け加えておけば、この裁判自体は、あくまで私人間の民事裁判であって、「日本国」と「大韓民国」が争っているわけではありません。
 
 「誤解その1〈リンク〉」で触れたように、新日鉄住金の裁判では、4人の原告たちは、動員された当時、14歳から20歳でした。動員に応じて赴いた労働現場で、賃金がまともに支払われず、鍵つきの部屋に押し込められ、外出も自由に認められないままで過酷な労働を強いられ、暴力を振るわれました。こうした被害に対して、彼らが人権と尊厳の回復を懸けて新日鉄住金に慰謝料を求めたのが、この民事裁判だったのです。大法院は、長い裁判の末に、その尊厳の回復を認めました。
 
 つまり、そもそも一企業と元労働者の間の民事訴訟であって、日本であれ、韓国であれ、「国」が当事者になっているわけではないということです。サッカーの試合のように、原告の元労働者と被告の企業を、それぞれの国の代表チームのように見るとすれば、それはちょっと違うのではないかと思います。
 
 

韓国にも「三権分立」の原則がある

 それでは、こうした大法院判決を否定しようとしない韓国政府の責任はどうなのか。「国と国との約束」を破っているではないか――という主張もあるかもしれません。これについても、私たちは疑問を感じます。
 
 韓国も日本と同様に、「三権分立」を憲法上の原則としています。「三権分立」の下では、裁判所は政府から独立して法を解釈・適用して紛争を解決する権原をもっています(司法の独立)。そこでは、政府といえども裁判所の裁判には干渉してはならないし、政府は最高裁の判決を尊重しなければなりません。韓国の憲法に従って韓国の最高裁が出した判決を、韓国政府が否定することは、できないのです。
 
 日本でもそれは同じです。たとえば最高裁がある法律を違憲だと判断すれば、それに従って法律の方を改めなくてはならないし、実際、そうした例はたくさんあります。仮に、日本政府が「最高裁は〇〇せよとの判決を出したが、政府としてはこれに従わないことに決めた」などと言い出したら、憲法を頂点とする法の支配が成り立たなくなります。
 
 日本政府ができないことを外国の政府には求めるというのは、やはり無理ではないかと思いますが、どうでしょうか。
 
 ちなみに、一部のメディアが書いているような、「進歩派の文在寅政権が反日政策の一環としてあのような判決を出させた」といった主張は明確に事実に反しています。なぜなら、今回の判決は2012年5月(保守派の李明博政権期)の大法院の差し戻し判決と、それを受けた13年7月(同じく朴槿恵政権期)の高等法院(高裁)判決の内容とほぼ同じ判断によるものであり、新しい解釈を示したものではないからです。
 

「国際法違反」は誰なのか

 国と国との約束を破った」と決めつけた上に、「だから国際法違反だ」と言う人もいます。しかし「誤解その2〈リンク〉」で見たように、国際法違反というのであれば、元「徴用工」たちに裁判での救済を認めない日本政府の日韓請求権協定解釈こそ、国連人権宣言や国際人権規約(自由権規約)に反する「国際法違反」ではないか――という言い方もできます。国連の専門機関であるILO(国際労働機関)は、戦時中の朝鮮人などの労務動員について、強制労働を禁じた「強制労働条約」(1930年採択。日本は32年に批准)違反だと指摘しています。〈リンク
 
 人権と尊厳を傷つけられた若者たちが、老齢に入ってから当時の企業を訴える裁判を起こした。これに対して、韓国の裁判所が、韓国の憲法体系に従って、事実と論理に基づく議論を慎重に進めた上で、日韓請求権協定について日本の政府や裁判所とは異なる解釈に立つ判断を下した。韓国政府は「三権分立」の原則から、それを否定せずに受け入れた――。
 
 こうした結果を、「国と国との約束を破った」と決めつけて敵対的に、居丈高に対応する態度が果たして正しいのか、私たちは疑問を感じます。しかし、ここから先は、日本という国がどのような外交を進めるのかという「選択」の問題なのかもしれません。

2020年6月14日)

大法院判決も、日韓請求協定そのものを否定しているわけではない
そもそも企業と元労働者の民事訴訟であり、いずれの「国」も裁判の当事者ではない
「三権分立」の原則があり、韓国政府が韓国の大法院判決を否定するのは不可能


 
 
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