◎「強制連行」「強制労働」という表現に関する閣議決定(21年4月27日)を検証する
番外編:日本維新・馬場議員の発言に思うこと――「強制連行」を語ることは「先人を貶める」ことなのか?

 「強制連行」「強制労働」に関わる閣議決定(詳しくはコチラ)を引き出した日本維新の会共同代表である馬場伸幸衆院議員が、21年12月11日に放送されたTBSテレビの番組『報道特集』でインタビューを受けていた。馬場議員は、「(強制連行や強制労働が)ゼロであったか分からない」としたうえで、先人のやってきたことを卑下してはいけない、などと述べた。史実を語るのは「先人」に対して失礼、ということらしい。
 馬場議員に限らず、日本帝国の時代に起きた近隣諸国の人びとへの加害の歴史を語る言論や意見に対して、「先祖を貶めるな」とか「先人への冒涜だ」などといきり立つ日本人が一定数いるようだ。
 しかし、本当にそう言えるのだろうか。まずは、現代の日本人それぞれにとって、「先人」や「先祖」とは、どんな社会的存在だったのか。歴史的な定説をもとに想像してみよう。

強制労働に反対した日本人もいる

 現代の日本人が自分たちの「先人」を語る場合、イメージされているのは、朝鮮人や台湾人以外の日本帝国の臣民である日本人、ということになるだろう。だが、日本人と言ってもその内実は多様である。社会における地位や役割も異なれば、意識や行動も人によって違う。
 例えば、日本帝国政府の中枢の政治家たちが対外戦争や植民地獲得に力を注いでいたのは事実だ。しかし、それに反対していた日本人も存在した。
 馬場議員はかつて、自民党国会議員の秘書を務め、自民党の地方議員だったこともあるようだが、その自民党の第二代総裁に石橋湛山という人がいる。短い間だが首相も務めた人物だ。彼は戦前、1920年代にはすでに植民地放棄論を唱えていたことで知られている。彼が主筆を務めた『東洋経済新報』は、30年代に総力戦体制が確立された頃には、調査や受け入れ体制の準備もないまま安易に朝鮮人を日本内地に労務動員することを疑問視する社論を掲げてもいた。

史実にアクセス/「徴用工」問題を考えるために 
石橋湛山(第55代総理大臣)が語る植民地・朝鮮の現実〈リンク〉

 石橋湛山以外にも、当時、対外膨張や軍国主義、植民地民衆への抑圧に異を唱えた日本人は少数だが確実に存在する。つまり、日本の戦争や植民地支配での人権侵害を語ることがそのまま「先人」や「先祖」を批判することだとする主張は、軍国主義を批判し、他民族との友好を願った日本人がいたことを完全に無視しているか、まったく知らないかだ。

大臣と庶民は違う

 いつの時代もそうだろうが、社会の大部分を占めるのは、名もない庶民たちである。戦争中、軍需工場や炭鉱に動員されたときも、事務職員の管理職、労務管理担当の職員ではない、ヒラの労働者がほとんどだろう。軍隊でも、将軍や将校は少数であり、構成員の大部分は下士官・兵卒だ。そうした人びとは、高位の官僚や軍人、企業の幹部、労務管理担当の職員に使われる側の存在だった。
 つまり、「強制連行」や「強制労働」が行われていた当時に生きていた人の一人ひとりが、「先人」「先祖」として、国の政策や戦争に、同じレベルで責任を負っているわけではない。東条英機首相や岸信介商工相のような政府首脳たちと、戦争中は軍需工場で旋盤を回したり、ねじ止めをしたり、暗い穴の中でずっと石炭を掘っていた市井の人びととでは、立場が異なり、責任の度合いも異なる。言うまでもなく、たいがいの人にとって身近な「先人」や「祖先」とは、後者のような庶民であり、彼らはむしろ総力戦の中で大変な思いをした被害者としての側面を持っている。

史実にアクセス/「徴用工」問題を考えるために 
炭坑の絵師・山本作兵衛が語る、朝鮮人・中国人らの強制労働〈リンク〉

 ところが、そうした立場の違いを無視して、まとめて日本の「先人」「先祖」というようなあいまいな言葉でくくってしまうと、日本人の中にあった抑圧・被抑圧、責任の度合いを覆い隠してしまうことになる。政策判断に重い責任を持つ大日本帝国の高位軍人や政治家と、その政策判断の誤りによって被害を受けた名もない庶民を同列にしてしまい、朝鮮人強制動員の被害者に対する軍人や政治家たちの責任を追及することが、同じ戦争被害者でもあるはずの庶民の「先人」「先祖」を貶めることだというおかしなことになる。

複眼思考で歴史認識を

 もちろん、日本人の庶民が何か純粋無垢な存在であったということではない。他民族への虐殺、虐待、労働の使役に直接加担した人もいる。そもそも大多数の人が領土拡大を支持し、対外戦争に協力的だった。
 しかし、そうした「加害者」としての日本人の庶民も、なにも生まれてからずっと、他民族に圧迫を加えようとか、人権侵害をしようと思っていたわけではない。むしろ、平穏に、他民族の人びととも仲良く暮らしていくことを望んでいたはずだ。そうした人びとがなぜ、加害者の立場になってしまったのか。誰がどのようにして、日本をそのような方向に引っ張っていったのか。問題は、そのように考えるべきなのだ。
 そのためには、まずは史実は史実として認めなくてはならない。それは「先人を貶める」ことではない。むしろそれこそが、当時、生きていた人びとに対する誠実な態度だろう。その上で、歴史の大きな流れを踏まえながら、当時の社会のミクロな状況も理解していく複眼的な思考で歴史を認識する努力を重ねる。そうした作業こそが、「先人」や「先祖」を真に敬うことにつながるのではないだろうか。つまり、強制連行について語ることは、「先人」を貶めたり、卑下したりすることではないのである。

2022年1月16日)

 
 
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